問題が起きた時、「なぜだろう」と原因をとことん考える人は意外に少ないのでは!? あっさりと諦めてしまう人が多いようですね。

 「前方の安全をよく確かめていなかったのが原因とみられています」
 新聞やテレビの交通事故報道で、こんな記事を読んだり、見かけたりします。
 でも、よく考えると、「前方の安全をよく確かめていなかった」から事故が起きたというのは、当たり前の話です。
 貴重な紙面、時間を使って、当たり前の話をわざわざする必要はないでしょう。
 ついでに言うと、交通事故の記事やテレビのニュースの最後に「〇〇署が原因を調べています」というのも、当たり前の話。事故が起きても、警察が原因を調べなかったら、それは大きなニュースです。その事実をつかんだら、特ダネになります。

 「前方の安全を…」に戻ります。新聞の読者やテレビの視聴者は、当たり前のニュース報道を期待しているわけではありません。
 遠回しの話をして申し訳ありません。
 何が言いたいかというと、事故原因は「前方の安全をよく確かめていなかった」ことではなく、大事なのは「前方の安全をよく確かめていなかった原因」です。
 つまり、不十分な記事やニュースが時々見られるのは、警察も取材記者もきちんと調べていないからなのかもしれません。違っていたら、ごめんなさい。報道は締め切り時刻に追われていますので、取材した時点で、根本的な「原因」が報道されないケースもあります。大事故なら、続報で詳しく報道されるかもしれませんが、普通の記事なら一回きりで、続報はありません。そうすると、新聞の読み手もテレビニュースの聞き手も"未消化"のまま、頭の中に何かもやもやとしたものが残ったままになってしまいます。
 例えば「前方の安全をよく確かめていなかった」の前に「車の左前方歩道に、とてもかわいい子犬を散歩させている素敵な女性がおり、そのかわいい犬と女性に見とれていたため」といった説明があれば、読者も視聴者も、「なるほど!」と納得するでしょう。原因の中身によっては「へぇ―!」ということにもなるでしょう。

 前置きが長くなりましたが、あらためて何が言いたいのかというと、「『なぜ?』思考をもっと大切にしましょう」ということです。
 私は今、「災害ボランティアコーディネーター(VCo)」として活動しています。大きな災害が起こると、被災地に「災害ボランティアセンター(VC)」が設置されます。VCoは、「室内に流れ込んだ泥を掻き出すお手伝いをしてください。私は高齢で、1人ではとても手が回りません」などと悲痛な声を上げる被災者の方と、全国から駆け付けてくださる災害ボランティア(Vo)を結び付け、迅速で効率的な支援ができるように活動するスタッフのことです。

 その私たちの大きな課題の一つが、スタッフ不足です。
 年に一度、災害VCo養成講座を開いていますが、仲間に加わってくださる方は多くはありません。今年は新型コロナの影響で、その養成講座すら開くことができませんでした。当然、私たちのグループに加入してくださる方もいらっしゃいませんでした。
 せっかく養成講座を受講しても入会してくださる方がいるとは限りません。
 で、ここで「なぜ?」の登場です。
 せっかく養成講座を受講しても、仲間に加わらないのはなぜか?
 仲間に尋ねてみました。

 「なぜ?」
 「今は駄目みたい」
 「なぜ?」
 「忙しいらしい」
 「なぜ忙しいの?」
 「……。なぜでしょう」

 ここで止まってしまいます。
 そうではなくて「忙しい」原因は、「子育て?」「親の介護?」「仕事?」「他のグルーブと活動日が重なっている?」…。いろいろなことが考えられます。
 だったら「何曜日の何時ごろなら活動に加われるの?」「災害時に、わずかな時間でも構わないから、一緒に活動できる?」と、「今は、駄目」な原因と、その人のいろいろな事情を詳しく聴いていくと、その人が「来年以降ならOK」と言ってくれたり、「その条件なら、今でも、できる」と応じてくれるかもしれません。
 だったら、その人に合った活動日の設定をすれば、仲間が1人増えるはずです。曜日や時間帯を工夫するだけの話です。定例会やプロジェクトチームのミーテイングを曜日や時間帯をずらして月に2回開くだけのことです。それでも無理ならオンラインでやればいいだけの話です。
 曜日や時間帯をずらして試みたこともあったそうです。結果は、参加者ゼロ。
 で、「なぜ?」と聞くと、「検証していない」ということのようです。駄目だったままで、ストップしていたのです。

 要は、何か困難、課題などにぶつかったら、その原因、要因を突き詰めて調べ、「障害は何か」が分かれば、代替案や対策を考えればいいだけのことです。
 私たちの活動を振り返ってみても、なぜか、今、難題、課題にぶつかったら、すぐに「駄目みたい」であきらめてしまうことが多いような気がします。「『駄目みたい』と簡単に諦めてしまうのは、なぜなのか?」も含めて、みんなで考える必要があるでしょう。
 ちょっとだけ考えてみると、例えば、リーダーの指導力不足、人材不足、メンバーの意識不足、定例会の運営の仕方の問題…。
 あまり「なぜ?」「なぜ、できないの?」「なぜ、やらないの?」「なぜ、やろうとしないの?」と言い続けていると、相手はそのうちに眉間にしわを寄せ始めます。
 でも、原因、要因を突き詰めて考えることは大切なので、そういう風土、雰囲気がないのであれば、少しでもそれが変るように、時々「なぜ?」と、仲間が問題意識を持ってくれるように声を出し続けようと思います。
 もちろん、「なぜ、駄目なのか」の先にある代替案や対策も、どんどん提案していくつもりです。